ありあまる日常

何も感じていないようで、ありあまるほど感じていることがある日常を紹介

過去の栄光と言える程の栄光ではないけれど、それに囚われすぎていると自覚した時のショックが大きい。

転職したときに、

前職とは全く違う業種に就いたのだが、

数ヶ月前から業種は違えども、

前職と同じような職種の部署に配属されることとなった。

 

転職当初は

「全く違う仕事だし最初から出来ないのは当たり前」

と自分に言い聞かせ、

とりあえず出来ることをひたすらやり、

そこそこの成果も出していた。

 

でも打って変わって

前職と同じような職種になってから数ヶ月。

出来ると思っていたことが出来なくなっていて、

うまいこと成果も出せない。

周りの人には昔こういう仕事をしてたから、

「出来ます!成果出します!」

なんて言ってたものの、

月日は流れ…

何年もやっていた仕事も、

転職後に一度離れ、

そしてその間触れなかっただけで、

時代も変わり、

技術も進歩し、

全く別物!とまではいかなくても、

忘れてしまっている。

 

昔はこうだった。

よくこういう風にやっていた。

こんなことも出来た。

なんて今の職場で言っている自分を恥ずかしく思う。

まだ何も成果を出してもいないのに。

 

周りからしたら、

またこの人こんなこと言ってるわ。

なんて思われているだろう。

実際そういう人がいたら自分も思うだろう。

 

今の職種に戻るまで何もしてこなかったくせに、

簡単に出来ると思ったら大間違いだ。

努力もしてないくせして。

 

 

と。

今自分に言い聞かせているんだ。

 

まずは成果。

その為の努力。

何から手をつけようか。

創造力と想像力

今回は小説「ファーストラブ」の話。

と言ってもほとんどは自分の話。

 

本なんて年間10冊読めばいいくらいで、

どちらかというと小説よりも

自己啓発系や仕事に関する本を好んで読むから、

小説を読むなんてことは年間1冊あればいいくらい。

 

そんな自分がファーストラブを読もうと思ったきっかけは、

古本屋で人気のところに置かれていたこと。

数年前に見たことのあり、

その装丁が気になったこと。

小説を読むきっかけなんて自分にとってはそんなもんだ。

 

率直な感想としては、

引き込まれる。

自分は本の中の世界で物語を客観的な人間なんじゃないか、

と思わせるくらいに。

 

話の内容はよくできていて、

たくさんの伏線にそれを回収する流れ。

読み終わったときに「ふぅっ」と息を吐き、

少し笑みを浮かべるくらい。

読んでよかった、

出会えてよかった、

面白かったと思わせる。

 

これを考える創造力を尊敬する。

見ているのはただ羅列された文字なのに、

自分の頭の中にはそこに書かれた情景が浮かぶ。

想像力が乏しいと感じている自分が、

その想像を描いていることにびっくりする。

 

ひとつひとつの所作。

ひとりひとりがなにをどのように感じているのか。

文字を通して視ている。

 

ドラマや映画や漫画が好きな自分は、

好んで小説を読もうと思ったことはなかったのだが、

ここまで想像力を掻き立てられると、

もっと前から小説を読んでいれば、

人の感情をもっと分かったかもしれないと悔やむとともに、

今からでも遅くはないと、

小説を物語を文字を読み、

創造はできなくても想像できる人間になろうと思う。

 

最初は今回ファーストラブを書かれた、

島本理生さんの他の小説を読んでみよう。

これからなくなる仕事を考えて不安になる

と思っていた。

 

今自分がしている仕事は、

2045年問題でも取り上げられているような

なくなっていく仕事なんじゃないか。

だからそれまでになくならない仕事といわれるような仕事へ

転職するべきなのではないか、と。

 

確かに仕事としてAI技術の発達により

人が必要なくなるような仕事は出てくる。

でも100年前、50年前でもそうだが、

その前の仕事が今も現存しているかと言ったら

実際そうでもない。

 

逆になくなる仕事はあるかもしれないけど、

必要となってくる仕事も出てくるということだ。

AIがしてくれることも出てくるだろうが、

どうしても人間の力が必要となるような仕事が出てくる。

 

それによくよく考えて、

全てがAIで行われ仕事がなくなるということは、

それだけ技術が進歩しているということ。

つまり働かなくてもいい時代がくるかもしれないということだ。

 

といってもそんな時代は自分が生きている間には

そんなことならないかもしれないが。

 

だから今何をしておけばいいのか。

仕事がなくなれば、

新しい仕事をすればいい。

そんなときにどんなことでもできる、

対応できるように、

自分にいろんなスキルを装備させればいい。

 

ここでいうスキルっていうのは、

資格とかじゃなくて、

知識と対応力だ。

資格なんてそれこそAIにやらせておけば百人力だ。

 

これからはそのスキルをプロ・達人といわれるような100%を

目指すのではなく、

複数のスキルを20%や30%出来る人の方が、

その時代に合わせた仕事が出来るはずだ。

 

だから今自分は何をすればいいのか。

転職を繰り返し繰り返し行う?

違う。

今の仕事をしながら、

複数のことに興味を持ち、

そのスキルを身に着けることだ。

 

道筋が出来れば、

不安なんてなくなる。

sukiwoshigotoni

面倒くさかったから、

そのままローマ字でタイトル。

 

好きなことを仕事にしたいって、

たぶん人類のほとんどの人が思うことであって、

(言い過ぎかもしれないけど…)

で、

それをできずに悩んでいる人、

好きなことが分からなくて困っている人、

そういう仕事につけなくて悩んでいる人って

世の中たくさんいるわけで、

自分もその一人なわけだが、

よくよく考えてみたのね。

 

そもそも好きなことが仕事っていう以前に、

自分の生きている時間の大半を埋めてもいない、

モノコトじゃないものを、

好きと勘違いしてるんじゃないかって。

 

例えばさ、

まぁ飛行機が好きだったとしようよ。

その人はパイロットや添乗員、

整備士になろうとするんだろうけどさ、

1日の現状の学校や仕事の時間を差し引いた

残りの時間をどれくらい飛行機で埋めてるんだろうっていう。

 

逆に言うとそれくらい好きじゃないと、

好きな仕事をやってるって言わないんじゃないかなと思ったのよ。

 

今自分が仕事以外の時間、

何に時間を費やしているかって、

TV(主にドラマ)や漫画、

もちろん食事とかいろいろあるけどさ、

そういったものよりも常日頃時間を割いているものが、

本当に好きなモノコトであって、

そういうモノコトに関連することをしない限り、

好きを仕事にしているって言えないと思うし、

何よりそこへの好きが薄いから、

その人はその時好きと思い込んでやり始めた仕事かもしれないけど、

結局長続きせずダラダラと

「早く終わって帰りたい」とか

「もうしんどいし辞めたい」とか

そんな風に考えていっちゃんじゃないかな。

 

逆にそうじゃない人が軽々しく

好きを仕事にしたいなんて言っちゃいけないと思うんだ。

 

好き=興味がある

じゃないんだから。

 

興味がある方が知りたいと思うし、

最初はいいかもしれないけど、

知った後に公開することになりかねない。

 

ちょっと偉そうに聞こえるかもしれないけど、

自分も出来ていないし、

今まで好きなこと仕事にしたいって思ってたし、

でもそれが全然できていないひとり。

 

ということで。

今自分が一番時間を割いているモノコトは何ですか?

って自分に問いかけてみる。

しあわせのかたち

ふと自分がしあわせに感じるときって、

いつなんだろうと思うときがあった。

 

仕事しててもしんどいし、

この先の未来に希望があるかといったら

そうでもない。

と思ってしまっている。

 

家族のこと。

仕事のこと。

いったいしあわせってなんなんだろうって。

っていうのをここ数年ずっと考えてた。

 

でもしあわせなんて、

自分の感じ様なんだ。

要は思い込み。

 

これをやってる自分がしあわせ。

なったときの自分がしあわせ。

出来たときの自分がしあわせ。

アンカーに近いのかな。

 

今、

大好きなドラマ。

録画をしていた、

「獣になれない私たち」を観ながら、

ビールを片手に焼き鳥を食べ、

焼き鳥食べ終わったから、

ドラマを一時停止して、

枝豆を茹でている間にタバコを吸う。

 

あぁ気持ちいいなぁ。

しあわせだなぁ、って。

 

未来に不安を覚えなくても、

現状がしあわせと思えなくても、

しあわせは創り出せる。

それは未来も現状も同じ。

 

創り出そうとするかしないかの問題なんじゃないか。

 

創り出すレベルの問題で、

簡単に創り出せる、

ドラマを観ながらビール、

をレベル1と考えると、

レベル2や3、

越えてレベル50のしあわせは

簡単に創り出せないだけで、

難しいと思っているだけで、

思い描いているしあわせのかたちは、

潜在的に自分の中に存在している。

あとはそれを実行するかしないか、

うまくいくかいかないかの違いなだけなんだ。

 

…とビール3缶目のほろ酔いの自分は思う。

 

明日も仕事か。

と顕在的に面倒臭いと思っている自分と、

それも面白く出来るじゃんと潜在的な自分がいるわけで。

 

とりあえず心の中に答えはあるということで、

今しあわせなので、

一時停止していたドラマを再生します。

褒めて伸びるタイプ

昔はよく使われていた

「褒めて伸ばす」か

「叱って伸ばす」

 

「昔は」って言ってるくらいだから、

今はその2つに分類するもんでもないと思うが、

自分は完全に

「褒めて伸びるタイプ」

だと自覚している。

もちろんこの2つには

メリットもデメリットもあるわけだが、

自分の場合、

叱られてからのモチベーションが維持できないことにある。

 

昔言われたことがある言葉だが、

叱られたことに対して、

「この人を越えてやる!」

っていうようなモチベーションを持て、と。

たしかにそういう風に思えなくもないし、

叱られたときには、

一応そういう風に考えるようにはしているが、

そもそも自分の競争心というのが欠けているのか、

10分、

1時間、

1日、

1週間、

1か月もすればその熱は何処へ。

 

だから分かりやすく、

褒められたい。

褒められるために、

その行動をしています。

そう、意図的に。

っていうくらい、

褒められることが分かりやすい報酬なんだと思う。

 

話は逸れるが、

成功体験を積むには、

インパクト×回数

だと昔教えてもらったのだが、

自分の場合、

そのどちらも小さく、

少ないのだろうか。

 

さっきの期間の間に何かしら成功体験を積めていれば、

それが報酬となっているのだろう。

だから叱られても、

また何糞と行動しようと思うのか。

まぁ人によって、

成功だと思うレベルの高い低いは違うから、

感じ方も変わってくると思うが。

 

褒めて伸びるタイプを客観的に見てみると、

その物事が好きでやっているのではないのではないかと推測してみる。

モチベーションの持って行き方を、

楽しいことをすることではなく、

褒められることへ持っていってるからなんだが。

 

そう推測したのはいいものの、

自分が叱られて伸びる日は来るのだろうかと、

疑問に思ってしまう今日。

楽しかったことも嬉しかったことも感動したことも

良かったこと全てがなくなってしまうような、

悪い出来事。

悪いという言葉に含まれる内容が多すぎるから、

その内容については読んでいるあなたにお任せするが、

こういうときによく使う

「取り返しつかなくなる」

という言葉。

 

今までずっと関係が取り返しつかなくなるって思ってた。

これ関係だけじゃない。

まぁこんなタイトルなってるから分かると思うけど、

楽しかったこと。

嬉しかったこと。

感動したこと。

 

その人と、

その人たちと、

共有した全てのことが、

取り返しつかないほど、

思い出せなくなる。

 

それよりも強烈な、

悪い出来事を共有してしまったがために、

全ての良い出来事の記憶が消されてしまう。

 

逆に言えば、

良い出来事の記憶を鮮明に思い出せるのであれば、

まだ取り返せるということ。

 

それに良い出来事の記憶が消されたとしても、

悪い出来事しか思い出せなくなったとしても、

今から新しい良い出来事の思い出を作ればいい。

 

取り返せないかもしれないけど、

また作ればいい。

諦めない限り、

関係は取り返せる。