ありあまる日常

何も感じていないようで、ありあまるほど感じていることがある日常を紹介

存在意義

ここに存在しているということの重要性や価値を意味する語。

存在の意義。

この場に自分が居合わせることにより生み出される価値、

この世界に生きているということの尊さや不可欠性などについて用いられる語。

もっぱら、そのような重要性や価値の欠如を疑う場面において言及される。

weblio辞書「存在意義」引用

 

昔から自分の存在意義について考える子供だった。

根暗だったから。

すごい愛情を受けて育ったはずなのに、

小さいころ俺はいらん子やって泣いて言ってて、

親を泣かせた記憶が今でも鮮明に覚えてる。

なんでそういう風に考えるようになったのか、

今でも原因やきっかけはわからない。

 

そして、すごく人と物事を比べることが多かった。

「この内容だったらA君よりもできる」

「もしB君が自分とC君どっちかを選ぶってなったら自分を選ぶだろうな」

何かにすごく劣等感を感じていたんだろうか。

 

今回退職にあたり、

噂で辞めることを知ってもらいたくなかった人には、

事前に退職する旨を伝えた。

ちょうど指で数えられるくらいの人数かな。

もちろん、好きな人ばかりだ。

退職の旨を伝えると、

「自分はずっといるもんだと思ってた」

「辞めるなんて思ってもみなかった」

って言葉をもらう。

「嘘だ、ドッキリですよね?」

「辞めないでください」

引き止めらることで自分の存在意義を感じて

優越感に浸ってしまう。

引き止めらて嬉しい自分と、

辞めてしまうことで申し訳ないと思う自分。

 

そういう存在意義を確かめてしまう自分が情けないと思う。

でもこれが人間なんかなとも思う。

男性 ピクトグラム シルエット イラスト

ネガティブが顔を出す

自分は基本ポジティブだと思っている。

 

でも元々ポジティブではなかったし、

子供の頃ってどんな子だった?

って聞かれると大体

「根暗な子だった」

と答えるくらい、暗い子供だったと思っている。

外でみんなとわいわいするような感じじゃなかったし、

テレビが好きで、

漫画が好きで、

音楽が好きで、

一日中家にいても全く苦痛じゃなかったからだ。

友達も多い方じゃなかったし、

大人数で遊ぶよりか、

1対1で話したりすることの方が多かったから、

余計に根暗だと思ってた。

 

そんな自分をポジティブに変えたきっかけは3回あって、

1回目は短大の時にいたまわりの人たちがポジティブだったこと。

そして、1対1で話すより大人数で集まることが多くなったこと。

これをきっかけにポジティブ思考で物事を考えるようになったし、

子供のころの1対1で話すことが多かったことから、

大人数の中でも1人1人とコミュニケーションを取れたことで、

よりみんなのポジティブ思考を受け取れた気がする。

 

2回目は会社に入ってから。

そもそも先輩も上司もポジティブだったし、

可能志向なんて言葉も流行ってたから、

何事にもポジティブに考えることがどんどん身についた。

 

3回目は後輩を指導するようになってから。

自分がポジティブ思考じゃないと後輩もそうなれないし、

先輩や上司が教えてくれたように、

自分も後輩にポジティブに物事を考えてほしいと思うから、

自分をよりポジティブ思考に変えてくれた一番のきっかけだと思う。

 

でも、今日あることをきっかけに、

ふとネガティブが顔を出した。

 

自分はポジティブだ!と周りに見せてるから、

誰にもネガティブな顔が見せられない。

今までネガティブになることはあって、

ネガティブなことを伝えてても、

「でも」とポジティブな思考に変えて、

相手に伝えてきた。

 

でもそれをポジティブに変えられないほど、

立ち直れなくて。

だから、誰にも言えない。

こんな自分は自分じゃないと、

自分を否定している部分があるんだろう。

 

以前のブログにも書いたなんでも話せる関係じゃないが、

自分は人に対して壁も基本作らないし、

なんでも喋る。

でもそれはポジティブな自分だけなんだろう。

結局嫌われたくないから、

ネガティブな顔が見せられない。

ポジティブって仮面を被らないと、

人と向き合えないんだろう。

 

ネガティブから立ち直るのに、

一番楽な方法は時間が解決してくれることで、

今まではネガティブが顔を出しても、

時間が解決してくれたんだろう。

でもそんな時間はない。

時間以外に解決できる方法は、

自分がネガティブに立ち向かい、

行動しないといけない、ってことはわかってる。

 

そう。

このブログもネガティブに立ち向かうために、

自分の気持ちを整理するために、

ポジティブな考えを導き出すために書いている。

ネガティブな人のイラスト

小さな嘘が引き起こす問題

昨日転職の中途面接に行ってきた。

話そうと思っていることは前回ブログの通り、

こう聞かれたらこう言おうと、

事前に作成済み。

この内容突っ込まれても大丈夫なように、

一応想定だけはしておこう。

とかとか。

実際面接行くよね。

面接官がすごいのか、

自分の想定範囲が狭かったのか、

想定通りの質問なんてしてこないよね。

ある程度は応えれたものの、

想定外すぎる質問プラス

YESNOでこたえなければならない質問に、

とっさに小さな嘘をつく。

言った後はまぁ分からないし大丈夫か。

って思うけど、

その小さな嘘で後々大きな噓をつかなければならず、

辻褄を合わせの言葉が多くなり、

そしてそんなことないのに…と心を傷める。

マトリョーシカのイラスト「たくさんのマトリョーシカ」

ちょっと違う話で、

最近ハマりまくっている大好きなドラマ「逃げるは恥だが役に立つ

昨日もテレビにかじりつくように見ていたが、

津崎さんが小さな嘘をつく。

みくりの「今どこですか?」という質問に、

津崎さんは「会社です」と言いながら、

実際は取引先の女性とそばを買いに行く。

それを見ているみくり。

まぁドラマだから、

そのすぐ後に2人の話し合いにより解消されるわけだが。

 

小さな嘘っていうのは、

一人ひとり受け取り方が違うということが分かる。

小さな嘘をつく本人は

「まぁ別に大差ないし」「説明面倒だし」

でも相手はどう思うのだろうか。

「なぜわざわざ嘘をつくのか」と疑念を抱く。

また、小さな嘘を擁護するため、

小さかった嘘がどんどん膨れ上がり大きな嘘となる。

 

よく相手を救う嘘もあるとかいうけど、

自分はそんなことはないと思う。

言った本人は嘘をついたと抱える。

言われた本人が嘘だと気づいてしまう。

結局その場しのぎの言葉なんだと。

相手を思う気持ちがあるなら、

相手とこれからもずっと一緒にいたいと思うなら、

それがたとえ小さな嘘でもつくべきではない。

 

…と思いながら、

これからも自分は小さな嘘をつくんだろうと思ってしまうのは、

自分の意志の弱さだろうか。

結局何を言いたいの?

単語をつなぎ合わせて、

話をつなぎ合わせて、

自分が何を言いたいか組み立てる。

通常の会話からそれができればいいんだけど、

なかなかうまいこと話せない時がある。

 

今回転職でサポートしてくれているアドバイザーと話をしていると、

いかにいつも自分がうまく話せていないかがよく分かる。

もっとこうした方が、

相手に思いが伝わりやすくなるとか。

点と点を結ぶために、

この言葉を入れることで、

線で結んであげましょうとか。

平気で言ってきよる。

 

自分の中で考えがまとまっていないのに言葉にしちゃうから、

あやふやな答えを出してしまう。

自分より自分のことが分かってるアドバイザーに関心しつつ、

そもそも自分があやふやだということを思い知らされる。

 

何を考えて生きているのだろうか。

自分はいつもどういうことを感じているのだろうか。

結果に対してなぜこういう行動をしているのだろうか。

あまり思いを言葉にしないから、

いざ話すときにあやふやな言葉が出てきてしまう。

 

はい。

今も同じ状況。

結局何が言いたいかわからなくなってる。

もっと相手に思いを伝えるためにも、

自分はなぜそう感じたのか。

原点をたどり、

言葉を組み立てて、

発信する癖をつけよう。

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なんでも話せる関係を作るには

なんでも話せる関係ってよく言うけど、

なんでもってなんだろうか。

楽しかったこと

辛かったこと

疑問に思ったこと

そんなのは誰にでも話せる。

 

でも、

悩み

愚痴

恥ずかしいこと

一握りの人にしか話せないことが、

なんでも話せるってことなんだろうか。

基本的に隠し事はしない私でも、

本当になんでも話せる人は一握りしかいない。

なぜか。

 

話すことでプラスにならないから。

今まで話していたことが嘘になるから。

怒られるから。

バカにされるから。

いろんなことが考えられるけど、

つまりは、

相手に嫌われなくないから。

話すことで相手が自分のことを嫌いになるんじゃないかって不安になるから。

 

じゃあどうしたらそんな関係を作れるのか。

結局、話すしかない。

この人に話しても大丈夫と思うまで話すしかない。

そして信じるしかない。

話すことで嫌われるかもしれない。

嫌われるかもしれないけど、

これが自分だと話さないと前には進まない。

 

なんでも話せる関係を作るには、

相手を信じて自分の全てをさらけ出すこと。

そうすることで、

相手にとって自分が、

なんでも話せる人になるんじゃないだろうか。

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捨てたことへの未練

自分に言い聞かせる。

もう捨てたんだ。

未練なんてない。と。

 

迷惑をかけ申し訳ないと思う気持ちも

謝りたいと思う気持ちも

許してもらいたいと思ってるからだ。

自己満足の世界。

相手はそんなことは求めていない。

前を見て歩いてる人に、

後ろを振り返ってもらって、

許しを乞うこの行為は、

もう止めよう。

迷惑はもうかかってるんやから、

謝ったところでしょうがない。

俺はもう捨てたんだから拾うことはできない。

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捨てたことで、

動いてくれる人、

動かざるをえなくなった人、

その人たちに感謝しよう。

その人たちのために努力しよう。

そして、捨てなかったものを大切にしよう。

 

何も捨てない選択

そんな選択なんてない。

何かを選んだら何かを捨てないといけない。

選択にたどり着くまでに、

数々の思考を繰り返す。

どちらかを選んだときの自分。

選んだあとの未来。

何で選ぶかは自由で、

そこにはメリット・デメリットがあって、

たとえ選んだときのデメリットの方が大きかったとしても、

未来に見えるメリットが大きかったら、

今を我慢する選択もある。

人に絶対Aがいいって言われても、

自分がBがいいと思うならBを選ぶべき。

それはどんなに親しい人がAだと言ったとしても

曲げないくらいの強い信念を。

こういうのを人生の岐路とでも言うんだろう。

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今年はたくさんの岐路に立たされた気がする。

妊娠

浮気

離婚

訴訟

退職、転職

転居

そのときの選択したものがどうであれ、

その後の未来で後悔しない、

そんな選択をしていきたい。