ありあまる日常

何も感じていないようで、ありあまるほど感じていることがある日常を紹介

焦りと不安

自分の不注意で怪我をして、

痛みが治まらず自分で救急車を。

明日も仕事だし、

ある程度痛み我慢して仕事するしかないか。

なんてことを考えながら、

大したことない怪我であってくれなんて、

甘い考えを、

いや願いだったと思うが、

そんなことを考えながら救急車の車中。

 

救急隊員の一言で一掃される。

「まぁ、骨折はしてるでしょうね」

簡単に言ってくれんな、

医者でもないくせに、

なんて思いながら、

骨折でないことを祈り、

病院の救急治療室へ

 

医者の一言

「折れてると思うけど、一応レントゲン撮ろうか」

もうそのときからテンションダウン。

それでなくても痛いのに、

頭の中はどれくらいで治んのかなぁより、

明日どうしようの方で頭がいっぱい。

 

レントゲン撮って医者は言う。

「やっぱり折れてるね」

「手術する?それともギプスして回復するの待つ?」

「とりあえずまた明日来て」

 

それでも頭の中は、

明日どうしようの一点張り。

 

とりあえず痛みは全く変わらなかったけど、

仮ギプスみたいなのして家帰ったものの、

もう痛すぎて叫んじゃう。

あ゛ぁー、

いったー、

ぐぁあー。

 

でもそんな叫んでる場合でもなく、

上司に連絡。

少しは譴責してもいいのにってくらい、

「なったもんは仕方ないしゆっくり休んで」

逆に職場でも自分の存在って何ってくらいアッサリ。

 

 その後、

入院して、

手術して、

今に至るわけだが、

今後どうなるのだろうという焦りと不安が離れない。

 

骨折したところもそう。

暮らしについてもそう。

仕事についてもそう。

お金についてもそう。

 

ある程度道筋が立てられたら、

この不安は一気に解消られるのだろうし、

周りから言われることは、

一旦身体を万全に持っていくことが先決とだけ。

 

分かってるよそんなこと。

だからリハビリも多めにしてるし、

考えうる骨折前の身体に戻すために出来ることをやってる。

 

でも本当にそれだけでいいの?

こんなことできるならしておいてって言われてる方が、

未来が見えてるから幾分か楽に感じる。

 

未来が見えないってこんなに焦ったり、

不安を感じたりするもんだなと、

今回の骨折で思い知らさせる。

 

でも結局焦りや不安を感じたところで、

今が変わるわけじゃない。

今できることを精一杯することでしか、

現状は変わらないんだから。