ありあまる日常

何も感じていないようで、ありあまるほど感じていることがある日常を紹介

しあわせのかたち

ふと自分がしあわせに感じるときって、

いつなんだろうと思うときがあった。

 

仕事しててもしんどいし、

この先の未来に希望があるかといったら

そうでもない。

と思ってしまっている。

 

家族のこと。

仕事のこと。

いったいしあわせってなんなんだろうって。

っていうのをここ数年ずっと考えてた。

 

でもしあわせなんて、

自分の感じ様なんだ。

要は思い込み。

 

これをやってる自分がしあわせ。

なったときの自分がしあわせ。

出来たときの自分がしあわせ。

アンカーに近いのかな。

 

今、

大好きなドラマ。

録画をしていた、

「獣になれない私たち」を観ながら、

ビールを片手に焼き鳥を食べ、

焼き鳥食べ終わったから、

ドラマを一時停止して、

枝豆を茹でている間にタバコを吸う。

 

あぁ気持ちいいなぁ。

しあわせだなぁ、って。

 

未来に不安を覚えなくても、

現状がしあわせと思えなくても、

しあわせは創り出せる。

それは未来も現状も同じ。

 

創り出そうとするかしないかの問題なんじゃないか。

 

創り出すレベルの問題で、

簡単に創り出せる、

ドラマを観ながらビール、

をレベル1と考えると、

レベル2や3、

越えてレベル50のしあわせは

簡単に創り出せないだけで、

難しいと思っているだけで、

思い描いているしあわせのかたちは、

潜在的に自分の中に存在している。

あとはそれを実行するかしないか、

うまくいくかいかないかの違いなだけなんだ。

 

…とビール3缶目のほろ酔いの自分は思う。

 

明日も仕事か。

と顕在的に面倒臭いと思っている自分と、

それも面白く出来るじゃんと潜在的な自分がいるわけで。

 

とりあえず心の中に答えはあるということで、

今しあわせなので、

一時停止していたドラマを再生します。