ありあまる日常

何も感じていないようで、ありあまるほど感じていることがある日常を紹介

誕生日だったからいろんな人から誕生日おめでとうって言葉をもらえると思って期待したものの、そもそも今の周りで僕の誕生日を伝えてないし、誕生日を知っている人とは疎遠になってるからそもそも僕の誕生日を知らない人が多いってことに気付かされた1日がようやく終わろうとしている。なんて寂しがり屋な自分の一面を垣間見てしまう。

1人では生きられないのではない。

いや1人で生きることは出来る。

でも周りに気に留めて欲しいと思うのは、

気に留めてもらっていたことがあり、

そのときの満足感というのか、

充足感が再び求めてしまうのだろう。

 

よく映画やドラマとかの物語で、

「子どもの頃からずっと1人だった」みたいな人は、

大人になってからも1人で。

というのをよく見るが、

それは知らないからなんだろうなと。

まぁ物語の中の話であって、

本当は違うのかもしれないが。

 

何が楽しくて生きているのか、

目的を失うことがあって、

そこそこに楽しいことも、

それがしたかった、

見たかったが為に生きているのだろうか?

と思うと疑問に思う。

「僕の人生本当にこれでいいのだろうか?」と。

 

これから1年、5年、10年、20年、30年と

このままの自分で本当に満足して死ねるのだろうかと。

 

未来を見過ぎて、

今が不安になる。

今しかできない事がたくさんある。

でもその中で何がやりたいのか分からない。

分からないからやらない。

そんな毎日の繰り返しはしたくない。