ありあまる日常

何も感じていないようで、ありあまるほど感じていることがある日常を紹介

一般化

全体を構成する部分を、全体に属するものとして識別するプロセスを指す場合にも使われる。

と、wikiにはあるが、

たくさんの意味があることに今気付かされる。

 

自分が習った一般化の意味は、

「人や物事の一部を全てと捉えること」

 

いつもイライラしている人を見て、

「あの人はいつもイライラしている」

と捉えがちだが、その人と24時間365日一緒にいるわけではない。もしかしたら、自分といるときにイライラしているだけで、普段は笑っている人かも知れない。

 

決めつけとも似ているかもしれない。

 

10年程前にその言葉を聞いてから、特に人に対して一般化をしないようにしてきたつもりだ。

 

だが、悪い方の一般化をしないようにしてきたが、良い方の一般化、例えばいつもニコニコしていて優しい人に対して本当にそうなのか疑念を持てていない自分もいる。

 

 

話は変わり、

 

今こうやって文字を書こうと思ったのは、ある人のブログを読み、自分自身に対しての一般化というのもあるんじゃないかとふと思う。

 

自分はこういう人。

人前に立つのが苦手で、

説明上手じゃない、

器用貧乏で、

飽きっぽい、

人を動かすのが得意で、

頭の回転も早く、

人に嫌われない。

って思ってるだけで、何か出来たこと出来なかったこと言われたことの体験を元に勝手に決めつけているのではないかと。

 

出来たことは続けるし、

出来なかったことはやらない。

 

出来たことは人によっては出来ていないレベルかもしれない。

 

出来なかった、苦手と思ったは、実はレベルアップの階段1段目がすごく高いだけで、2段目以降は緩やかかもしれない。

 

自分がどんな人になりたいのか。

他人のことを全てを知ることも出来ないが、

まずは自分のことを知るべきじゃないか。